上司にネイルを落とすように言われて人生への悲観が止まらない

上司にネイルを指摘された。

 

私の仕事は基本的に事務系でずっと室内にいるが、週1〜2回のペースで外回りもある。外出先は営業先というわけではないが、こちらからお願いして伺わせてもらっている。

 

上司は50代の男性で、異動してきて私の上司になった。

私の仕事場は大きく分けて2種類の職種で成り立っており、ひとつは私がいる事務方と、もう一方が警備系の仕事である。

上司の前の部署は警備系のところで、上下関係に厳しいイメージがあったので、わりと柔軟で部下にも怒鳴り散らさない上司が来て、私は結構驚いていた。

事務系と警備系の雰囲気の差にきっと思うところはいろいろあるのだと思うけれど(上司への態度や仕事ぶりなど)、上司はそれを感じさせない人だった。

とはいえ仕事に関しては鋭くツッコまれることもたびたびあった。私のような新しく入ってきた何も知らない部下にも、言い回しも易しく間違いを指摘した。怒られることはないものの、その的確さは警備系の雰囲気を感じていた。

 

私はどちらかというとその上司が好きだった。父娘ほどの年齢差があるにも関わらず、気兼ねなく話しかけられる雰囲気を持っている上司は大切だと思う。職務上も申し分ない人なので、私も頼っていた。

 

ネイルを指摘されたのは、外回りの仕事の話をしたときだった。

 

「外に行くなら、爪は外さないとな。」と言われて、私は一瞬唖然としてしまった。

続けて上司は、「ピアスも取らないとダメだし。爪も外すか手袋していかないとな(笑)」と言った。

 

上司に指摘された私の手のネイルは、今流行りのジェルネイルで、模様は至ってシンプル、白のフレンチにラメのラインが入っているものだった。

ネイルをしたきっかけは、元来爪が弱く、すぐ二枚爪になってしまうのを防ぎたかったから。そして、指先のおしゃれを楽しんでみたかったからだ。

初めてのジェルネイルだった。今まで、「一度やると永遠に続けなくちゃいけなくなる。」と思って手をつけていなかったネイル。そのネイルをすることは、私のおしゃれへの大きな決意であり、大きな一歩であり、うきうきすることでもあった。シンプルなデザインだったけど、いつもいつも自分の指を眺めていた。

 

ピアスについても、一度飲み会があったときに上司が私に「それは取れないの?」と聞いたことがある。

このピアスも、インナーコンクにぶっ刺さってるものであり、大変な腫れからくる痛みで卒倒しかけたり、ハナクソみたいな膿が完全に出てこなくなるまで2年くらいかかったりと紆余曲折ある穴である。そして、安易に外れないようにキツく締めてあるので、なんと自分では外すことができない。穴が安定するまで触らぬが吉なのである。

ちなみに右耳に4つ、左耳に3つピアス穴が空いている。

そのときは近くにいた女性の先輩が「そういう古い感じのこと結構気にされるタイプですか?」と言ったあと、別の話に流れていったんだけれど、きっと上司は以前から私の耳のピアスが気になっていたのだと思う。

 

「ピアスは髪下ろせば隠れるけど、ネイルは取らないとどうしようもないですね。」と私は苦し紛れに言った。上司は「そうだな」と笑った。

「いまどきそんなこと言う人間いるのかよ。」「相手方だっていまどきネイルしてるからってなんとかいう人間いないだろ。」「ジェルネイルはマニキュアと違って落とすのにもまたサロンに行って金払うんだぞ。」「客前に出る仕事している人はそういうことしちゃいけないって風潮自体が今の時代に合っていないし、それを求める相手が間違っている。」「じゃああなたの結婚指輪は良いのか。」「別の社員が外部から来た人間と接触するときのネイルは良くて、私はダメなのか。」「茶髪の社員は?」「爪が折れる。」「じゃあ手袋するわボケ。」「ピアスはダメで指輪はいいのか?あなたの結婚指輪は外す対象にならないのか?」「私以外のネイルしている人はどうなのか?」「このネイルは常識はずれだっていうのか?」などいろいろ言いたいことはあったけど、飲み込んでしまった。

 

そう言いたい気持ちはわかってしまうのだ。

古い規範の中で生きていた人は、指先の色も髪の色も耳の穴の数もきっと気になるだろう。

それは私のためではなく、自分のためだ。

私がどこか外でそういうことを指摘されないようにそう言っているのではなく、ただ自分が気になるから私にネイルとピアスを取らせるのだ。それを一般常識みたいに言うな。

 

上司は「外すか手袋」などと言ったものの、本当に手袋をすればオッケーというわけではないだろう。ネイルを指摘したときの空気を和らげるために手袋などという「冗談」を口にしただけであって、上司の中ではネイルを取るという一択しかないのだ。

 

優しい口調でネイルを取ることを強制されたモヤモヤと、初めてのジェルネイルから1週間しか経っていないことと、指摘された恥ずかしさと悔しさと、楽しいおしゃれを恥ずかしい気持ちにさせられたことで、私の胸のあたりはグジュグジュして、帰宅して初めて仕事のことで泣いた。

注意されたことが恥ずかしかったのか、悔しかったのか、憤りからなのか、考えてもわからないけど、ベッドの上で声をあげて泣いてしまった。

 

怒ることもできたのに、上司は限りなく優しく遠回しに指摘した。

まるで私が全て悪いみたい。

根拠のない、納得できる説明もない内容なのに、私はもうネイルを取るしかない。それが辛い。

 

 

なんだかネイルを指摘されてから人生への悲観が止まらない。

 

だって、熱望した仕事じゃない、いまも転職と勤務継続を天秤にかけて、どっちも同じくらい面倒くさいからなんとなくまだ惰性で進むことのできる方にいるだけの、なんの思い入れもない職場。仕事内容も、客も大嫌いな職場。残業代だって全額出ないような平気でブラックなところ。そんなところで惰性だけで働いている私は、好きでもない仕事のために頭の先から指先まで制限されるのか。耳の穴の数まで。

なんてこった。こんな人生なんてひどいんだろう。虚しくて死にそうだ。

 

本当に最悪な気分だ。

急いでネイルサロンのオフの予約を取らなくてはいけない。

さよなら、私の初めての指先のおしゃれ。